須崎半島 1000~200万年前の記憶をたどる
伊豆半島には、唯一もうひとつ“半島”があります。下田の須崎半島です。
スイセンの群生地として知られる爪木崎がある大きな岬。下田の街を抱きかかえるように天然の入江をつくる須崎半島がなかったら江戸時代、風待港として栄えなかったかも知れません。
須崎半島はジオポイントの宝庫。
爪木崎のグリーンエリア前バス停を起点に下ると九十浜。下田のなかでは穴場的な海水浴場だとか。浜の脇には海岸沿いに遊歩道が整備されており、気持ちのいい潮風に吹かれながら九十浜から30分ほどでタカンバ海岸。
タカンバとは“高い場所”という意味で、なるほど見晴らしのいい海岸。その高台はイソギクの群落地で、晩秋の花期にはお花畑になるそうです。またオオシマハイネズや希少なイズアサツキ(花期は初夏)などが目を楽しませてくれます。
須崎半島は1000~200万年前の海底火山の痕跡を残すジオエリア。
それにしてもタカンバ海岸一帯の岩肌は赤茶けています。理由は、地下の熱水によって岩が化学変化をおこして赤茶けたそうです。地下の熱水は温泉として湧き出したり、人を惑わしたりする金や銀といった鉱物を生み出します。戦前、須崎にも鉱山があり金、銀、硫化鉄を産出していたと聞きます。
タカンバ海岸から遊歩道を進むと昭和天皇の歌碑がたつ駐車場。眼下に池ノ段と呼ばれる砂浜と灯台がたつ爪木崎が一望。ここから見ると爪木崎が平べったい海岸段丘(隆起海成段丘)だということがよくわかります。須崎半島は海底火山が地殻変動によって地上に姿を現したが、海面近くにあった岩盤が波によって削られ平らになりました。それが隆起したのが海岸段丘なのです。
爪木崎の「俵磯」は、見事な柱状節理
爪木崎といえば、スイセンの群落地としてよく知られていまっす(花期2月下旬~2月)。池ノ段へと下り、灯台へ続く遊歩道を登ります。坂を登りきると平坦な道が岬の突端に立つ灯台へと続いており、あらためて海岸段丘を体感させられます。
爪木崎の尾根道を灯台とは反対方向に進むと波打ち際が見える高台に。眼下に見えるのは「俵磯」と呼ばれる磯で、見事な柱状節理が広がります。「俵磯」は間近で見ることもできます。柱状節理はマグマや溶岩が冷えて固まるときの収縮によってできる規則正しい亀裂。その見事な六角形の石柱は、その形から「俵石」と呼ばれ、江戸時代には石材として切り出されていたようです。
あちこちに残る石切場跡
いったん池ノ段方面に戻り「須崎遊歩道」の海岸コースに。爪木崎と須崎港を結ぶ3km弱の道程で、かつては生活の道。須崎を目指して田ノ浦、田ノ尻といった小さな湾に沿って進むと、途中、青みがかったきれいな地層が現れます。海底に積もった火山灰や軽石の層で「伊豆石」として利用されたなかでも青みがかった地層はサワダ石と呼ばれる高級品で、耐火性、保温性に優れていることからカマドや蔵などの建材に使われていました。
この海岸線には石切場跡がいくつもあります。岩山を削って掘った跡があり、近くの道端には切り出した石材が放置されたまま。かと思うと、平らな磯場に採石跡。なかでも「細間の段」と呼ばれる磯場は、長禄元年(1457)、太田道潅が江戸城を築く際に、石垣用の石材を切り出した場所だと聞きました。重い石材を海路で運んだようです。
爪木崎を出てから1時間30分ほどで須崎漁協に到着。そこから少し歩くと恵比須島という橋を渡っていける島があります。遊歩道が整備されていて、ゆっくり一周しても40、50分ほどの小さな島ですが、世界的にも珍しい地層の“教科書”だといいます。
波打ち際の歩道を進むと、崖は海底火山から噴出した火山灰や軽石が降り積もってできた灰白色の美しい紋様の地層。ところどころ波を打ったりしているのは波の記憶。視線を上げるとゴツゴツした石を埋め込んだような地層が見えます。海底火山が噴火したときの土石流です。島の南側にある「千畳敷」は、波が削ってできた波食台です。この小さな島は、いわば地層の年輪が刻まれた場所といえるでしょう。
