様々な顔を持つ 西伊豆町田子
西伊豆町田子は奈良時代に名前が登場するほど古い漁師町。
かつてはカツオ漁の基地として栄え、独特の製法を伝える田子節というカツオ節で知られます。
波静かな田子港の波止場に立つと古い絵葉書を見ているような懐かしさがあります。
田子港から海岸線沿いに田子瀬浜へ。
この辺りには、太平洋戦争末期に“ベニヤ板の特攻艇”「震洋」の基地があり、凝灰岩を掘って艇を格納した洞窟が残っています。
- 震洋格納庫跡
- 震洋を格納するために掘られた洞窟
田子瀬浜は夏場、海水浴場として賑わいます。
その湾口の突端には凝灰岩の伊豆石で作られたカツオの供養塔がいくつも立っており、かつての繁栄がしのばれます。
田子瀬浜からは燈明ヶ崎遊歩道に入り、浮島海岸までの1.7kmの道程。
瀬浜から上りになって、田子湾を俯瞰できるようになります。
かつて伊豆水軍(海賊衆)の拠点のひとつで、船を隠すにはもってこいと思われる複雑な海岸線です。
浮島まで半分ほどのところが燈明ヶ崎。
名前の通り、灯台があったところで、その土台が残っています。
熱帯魚が泳ぐ入り江 浮島海岸
浮島海岸(ふとうかいがん)は、コバルトブルーの海にいくつも奇岩が突き出した浜。なかでも「三ツ足」と呼ばれる岩は、無数の石材を積んだかのような人工物にも見えます。
その正体は、海底火山の時代に、地下深くから上昇してきたマグマの通り道で“岩脈”と呼ばれ、規則的な亀裂はマグマが冷えて固まるときに縮んでできる柱状節理。
伊豆の松島 岸堂ヶ島
浮島海岸から国道136号線に出て、景勝地として知られる堂ヶ島へ。
瀬浜バス停からほど近い堂ヶ島温泉ホテルの脇道を下って行くと、浜の先に、伝兵衛島、中ノ島、沖ノ瀬島、高島という小島が連なっています。
これらの島々もマグマの通り道である“岩脈”の群れです。
干潮時になると石礫の“橋”が現れる「トンボロ」は観光の目玉のひとつ。
堂ヶ島は、その海岸線の美しさで知られる観光地ですが、ジオ的視点で眺めると、その魅力はより深くなるはず。
堂ヶ島の美しさを一言でいえば地層の美しさといってもいいでしょう。
海底火山の時代、海の底に降り積もった火山灰や軽石、海底の泥や砂を巻き込んで水底土石流の地層が本州への衝突とともに地上に出現。その後の侵食によって、自然の造形美を生みました。
堂ヶ島は、遊覧船に乗って海から眺めるのも一興です。
遊覧船の目玉になっている「天窓洞」は、海底火山の噴出物が隆起し、その後の波の侵食で洞窟(海食洞)になり、最後には天井が落ちたものです。
「青の洞窟」の伊豆版といっても過言ではありません。
奇石に囲まれた乗浜海岸
堂ヶ島から仁科方面に向かって海岸線を歩くと乗浜(のりはま)海水浴場。
そこから路地に入ったところにひっそりと「白岩山岩堂」があります。
火山灰層をうがって作られた洞窟内には室町中期といわれる仏像画が描かれています。
仁科港から少し歩くと鍛冶屋浜という小さな浜。
さらに進むと枯野公園。
『日本書紀』などによると、15代応神天皇の命を受けて、伊豆の山から巨木を伐り、長さ十丈(30m)もある高速船を造らせたとか。「枯野」は、その船の造船所があったのではないかと伝わっています。
国の名勝 安城岬
仁科港の南側に大きく張り出した岬があります。
「安城岬(あじょうみさき)ふれあい公園」となっていますが、観光客はあまり見かけません。
駐車場から岬の突端まではヤブツバキ、モチノキ、ウバメガシといった照葉樹林を上り下りしながら30、40分。
樹林帯が切れ、目の前になだらかな岩場と海が広がっています。
「亀甲岩」(かめごういわ)を始めとして、その美しい風景は遥か昔の海底火山の贈り物に思えます。
