梅雨の晴れ間に部屋を片付けていたら、机の奥から汚れた缶が出てきました。
中身は古いマッチ。
25~35年くらい前のもので、その後は行っていない所がほとんどです。
懐かしい思い出を、ひとつひとつ振り返ってみたいと思います。
興味のある方は、しばし昔語りにおつきあいください。
目次
ホテルのマッチ
ヒルトン東京(新宿)
東京都新宿区西新宿6-6-2
https://www.hiltontokyo.jp/
「さくら」と書かれているので、たぶんラウンジにあったもの。
インターナショナルなトーンでまとめられた中の差し色的な和が結構気に入っていたホテル。
山の上ホテル(お茶の水)
東京都千代田区神田駿河台1-1
http://www.yamanoue-hotel.co.jp/
1936年旧館完成、1954年ホテル開業。
文人の宿として有名なクラシックホテル。英名「HillTop Hotel」。
本館の設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
文學の香り漂う隠れ家的な雰囲気、アールデコの柔らかさが大好きでした。
お茶の水は、明治大学が母校だった亡父が愛してやまない地でもありました。
結婚式場候補でしたが予算的に玉砕。
- 小さくて可愛いサイズ。白いマッチに明るいブルーのロゴ
- 手書き文字のバランスが絶妙
New World Harbour View (香港)
72Mody Rd, Tsim Sha Tsui, Kowloon, Hong Kong
https://newworldmillenniumhotel.com/en/
現在はマリオット系のRenaissance Harbour View Hotel。
1989年天安門事件の少し前頃(未確定)の香港・マカオ家族旅行。
香港は街中にしか行かなかったのでバリバリ都会の印象しかありませんが、マカオでは、昼に見るカジノにきらびやかさは全くなく、ポルトガル色全開のセナド広場から一本裏の道に入れば、そこには富とかけ離れた中国がありました。
香港は1997年イギリスから中国へ返還。
珠江(しゅこう)河口対岸にあるマカオは1999年にポルトガルから返還。
HILTON(エアポートヒルトン)
ヒルトンインターナショナル共通のマッチなので場所不明。
アメリカ西海岸(サンフランシスコ?)のエアポートヒルトンだと思います。
覚えているのは、部屋のカーテンの閉め方がわからなくて一人で泣きそうになったことと、アンガスビーフのステーキが最高に美味しかったことくらい…。
- 味気ないブックマッチですが、客室は温かみがある素敵なお部屋でした
鴨川グランドホテル(千葉)
千葉県鴨川市広場820番地
https://www.kgh.ne.jp/04/
社員旅行で連れていってもらったリゾートホテル。
海に面したメゾネットの部屋が海外のリゾートみたいで感激しました。
「絶対また来る」と心に誓いながら、二度と行くことはありませんでした。
ホテル ニューグランド(横浜)
神奈川県横浜市中区山下町10番地
https://www.hotel-newgrand.co.jp/
横浜港のランドマークといえば、今も昔もホテルニューグランド。
マッカーサー始め国内外の有名人が多数宿泊したクラシックホテルです。
1927年開業、設計は渡辺仁。
山下公園前のフランスのエスプリが漂う玄関や、どんな賓客を招いても恥ずかしくないエレガントな内装は、今でもやっぱり憧れのホテルです。
- この背景は何を表わしているのか謎。港の前なのに草原?
- 横浜高島屋でバイトしていたのにニューグランドの食堂があったなんて知らなかった!
Moana Surfrider(ハワイ)
2365 Kalakaua Ave., Honolulu, HI 96815
https://www.moanasurfrider.jp/
1901年3月11日、ワイキキ最初のホテルとして開業。
ワイキキに翼を広げるコロニアル様式の白いホテルは、”ワイキキの貴婦人”と呼ばれています。
- 正方形柱のマッチ。いかにもリゾート風の花柄が素敵。でもよく見ると「梅」? ひょっとして和風?
- 汚れてしまったのが惜しい。右端に”JAPAN”の文字が!
25年ほど前、親族の結婚式でハワイに行った際、モアナ・サーフライダーをひと目見たくて朝ごはんを食べに行きました。海とヴァニアンツリーに面した1階の「ヴェランダ」は有名なオープンテラスレストランです。白い瀟洒なモアナの館で優雅な朝食、夢がひとつ叶った旅でした。
当時のホテルの名称は「Sheraton Moana Surfrider」、今は同じマリオット傘下のウェスティンブランドになっています。
ですが、ロイヤル・ハワイアン ホテルも、モアナ・サーフライダーも、実質的なオーナーは国際興業です。
マッチ箱をよーく見ると、ものすごく小さく「JAPAN」と印字されているのを見つけてしまって、少しショック。
- 1940年のRoyal Hawaiian(左) とMoana Hotel(右)。マッチの花の絵柄は表裏それぞれ違う。
- Moana Surfriderで購入した絵葉書
1941年真珠湾攻撃の後、ロイヤルハワイアンは接収され、ワイキキビーチには有刺鉄線が張られたそうです。
金谷ホテル(日光)
栃木県日光市上鉢石町1300
http://www.kanayahotel.co.jp/nkh/
1873年(明治6年)開業のリゾートクラシックホテル。
登録有形文化財。フランク・ロイド・ライトも宿泊したそうです。
35年ほど前に別館に宿泊。
内部は東照宮風とでもいうのでしょうか、独特な豪華さでした。
宿泊したクラシックな客室はかび臭く、二度とクラシックホテルに泊まるものかと思った記憶があります。
豪華なメインダイニングでの食事は、私が苦手な虹鱒コース(定番)でした。
まだ若くて未熟な頃でしたので、今行ったら 見方が全然違うと思います。
もう一度訪ねて、昔の自分と対話してみたい…。
- 表は日光金谷ホテル
- 裏は中善寺金谷ホテル
ホテル オークラ(虎ノ門)
東京都港区虎ノ門2-10-4
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/
全体が日本最高峰の工芸品と言われるホテル。1962年開業。
仕事関係でよく行っていたものの、私などが宿泊してはいけないホテルです。
30~35年ほど前、仕事でいろいろな都内のホテルを回りましたが、ここほど出入りの業者に厳しい所はありませんでした。明らかに別格。
- オークラを象徴する意匠「麻の葉紋」
- ひどく汚れてしまって残念。
有名なカスタマー・リレーションズの女性に憧れて「あの仕事がしたい」と事情通の先輩に言ったら、「元華族とかじゃないとダメだよ」と返されました。真偽のほどはわかりませんが、言葉遣いや所作が明らかに庶民じゃなかったような…。
私ごときは精一杯背伸びして「カメリア」というカジュアルなコーヒーショップでお茶するくらいが関の山でしたが、一度だけダイニングの「ラ・ベル・エポック」で軽くご馳走になったことがありました。アール・ヌーヴォーのお部屋なんて初体験で、緊張して何をいただいたのかまったく覚えておりません。
もったいない…”ブタに真珠”。
2015年オークラの本館の建て替えが発表されると、多くの海外のアーティスト、クリエイターたちが一斉に反対を表明したことが報道されました。
しかし懐事情を始めとする諸事情によって、2019年9月に近代的な高層複合ビルに形を変えてオープン予定。
オーキッドルームは以前のままの姿で再登場とのことです。
今後は、向かいの別館もタワマン、オフィスビルになるそうです。
ほとんどオークラにお金を落としていない私には、何も言う権利はないということで…。
下は取り壊しが決まった2015年、最後のお茶しに行った時の写真です。
- ○十年ぶりに歩いて行ったら、道を間違えてホテルの裏側に出てしまった
- 上の外壁に「なまこ壁」。平瓦を張った目地の白い部分は漆喰ではなく、陶器の白タイルが使われているそう。
- オーキッドルームとオークラ・ランタン遠景(泣)
amandari(バリ島)
Amandari Kedewatan, Ubud Bali, Indonesia
https://www.aman.com/ja-jp/resorts/amandari
神々が宿る島バリ島のUbudにあるラグジュアリーリゾート、アマンダリ。
30年ほど前のバリ旅行では、事前予約なしで現地でコテージを渡り歩いておりました。
コテージも素晴らしい体験でしたが、憧れのアマンダリをどうしてもあきらめきれず、お茶だけしに行ってきました。(こればっか)
アマンダリは1989年オープンですので、オープン間もない頃に伺ったようです。
- 白にシルバーの箔押し。30年前のデザインなのに、素材もロゴのフォントもまったく古さを感じさせない。まるでiPhoneの箱。
- 表と裏は同じでロゴのみ。サイドに住所がさりげなく。UBUD, BALI, INDONESIA
背景の森に落ちていくように見えるインフィニティプール、ロビーでは民族衣装に身を包んだ女性たちのバリダンス、現実離れした神秘的な世界観に圧倒されました。
アマンダリを作ったのはオーストラリアの建築家 Peter Muller。
こんなすごい場所を作った人は天才か!と思って調べてみると、バリの森に住み、彼らの暮らしを理解して愛した結果生まれた建築物のひとつがアマンダリだったのでした。
Peter Muller wikipedia
↓これが、アマンダリのインフィニティープール!
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飲食店のマッチ
もぐらのサルーテ(六本木)
六本木交差点のすぐそばにあった「ホテルアイビス」地下のパブ。
おしゃれで気軽に入れたので、ちょこちょこ利用させていただいていました。
飲みすぎた晩はお泊りしてしまったことも。
2014年1月1日、ホテル閉業。
Windjammer(横浜)
横浜市中区山下町215
https://www.facebook.com/windjammer1972/
中華街のはずれにある Jazzカクテルラウンジ「ウィンドジャマー」。1972年創業。
Windjammerとは大型の帆船という意味で、店の外観もインテリアも帆船がモチーフ。
Jazzの生演奏があり、外国人たちはほとんど立ち飲み。
学生には、そんな大人の世界が滅茶苦茶かっこ良く映ったのです。
同じ頃、中華街界隈の裏通りには、プロっぽいマダムがやっている戦後の雰囲気漂う古いJazzバーがまだ残っていて、場違いを承知の上で訪れてみたりもしました。
- ウィンドジャマーのマッチ
- 30年以上前のマッチとは思えないデザイン
GeniusⅡ(渋谷)
渋谷道玄坂小路にあった伝説のジャズ喫茶。
渋谷が109やパルコで賑やかになり出した頃、中野の方に移転されたそうです。
Star Dust(東神奈川)
横浜市千若町2丁目1
https://www.facebook.com/BarStardustOfficial/
隣のPole Starと共にドラマや映画のロケ地として使われることが多いバー。
東神奈川の米軍港湾施設(ノース・ピア)に通じる橋の手前にあります。
貧乏学生は暗い夜道を東神奈川駅から歩いて行くのですが、周囲には目立つ建物もなく、Star Dust と Pole Star のネオンサインが煌々と輝くのを見つけると心が躍ったものでした。
Pole Starの方は貸切専用で、大学の先輩が結婚パーティでここを使いました。
店内もアメリカンオールディーズ一色です。
花嫁が持っていた白い”カラー”のブーケと、外に係留されたボートが揺れる波にあわせてギー、ギーと鳴っていたのを未だに覚えています。
- この配色がたまりません
- ジュークボックスの音楽にあわせて踊る女性?
スカラ座(新宿)
1954年に開業した伝説の名曲喫茶。マッチの住所は「新宿歌舞伎町(コマ劇前)」。
外壁いっぱいに蔦がからまった不思議な空間でした。
現在は移転してしまっているとのこと。
- コマ劇場そばにあった頃のスカラ座マッチ。オペラを意識したデザインかな
- 他のマッチと同様に保管していたのに新品同様でした
Cafe Lotus(バリ島)
Jalan Raya Ubud, Bali, Indonesia 80571
http://www.cafelotusubud.com/
- このヌルさも魅力
- 裏は系列店用みたいです
バリ島Ubudにあるカフェレストラン。まだ健在のようです!
アジア系の食事は苦手で、近くに日本食レストランもありましたが高くて不味い。
そこで、Ubudにいる間お世話になったのが カフェロータスのポテトサラダとトマトスープでした。
日本で食べるポテトサラダと同じ味だったんですよ。
バリの古い遺跡のような場所にあり、庭には店名由来と思われるハス池がありました。
他のメニューは食べていないので味は不明。
マッチの裏は、系列店のバーのようです。
マッチは立派な文化
こうやってみると、マッチって凄い!
小さな四角いスリーブの箱に、そのお店やホテルの世界が凝縮されているのです。
そして1/3世紀という時間を経てなお、当時の空気を運んでくれます。
マッチのコストもばかにならないのに、コーヒー一杯で持っていかれたら店側も大迷惑だったことでしょう、、上記のお店の皆様、本当に申し訳ありませんでした。
